この記事を書いた人 大里康正
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ここがキリストの墓!?ミステリアススポット「新郷村」の不思議に迫る
記事作成日: 2016-02-26
青森県新郷村(旧戸来村)にイエス・キリストの墓と言われる場所があります。ここは青森県三戸郡新郷村大字戸来字野月といい、今も旧村名の戸来(へらい)という文字を残していますがこの戸来にも既に意味があります。
青森県にはミステリアスな場所がたくさんあるのですが、今回はこちらの「キリストの墓」とはどのようなものなのか、ご紹介します。
小高い丘の上
駐車場からキリストの墓までは少し歩くことになります。小高い丘の上まで道を上って行きます。毎年6月に慰霊祭であるキリスト祭が行われ、ナニャドラと呼ばれる唄と踊りが奉納されています。
キリスト教伝来について
日本におけるキリスト教の伝来は1549年となっています。イエズス会のフランシスコ・ザビエルを含む宣教師たちにより布教が開始されました。
彼らは織田信長の許可を得て布教活動を行っていきますが、続く豊臣秀吉の時代になると仏教との軋轢により、弾圧される側となってしまいました。これが日本の歴史なのですが、キリストの墓となればそれから約1500年も前の話となります。
発見の経緯と新郷村(旧戸来村)に残る不思議
昭和10年、日本のピラミッドを調査していた鳥谷幡山に同行していたのが天津教の教祖、竹内巨麿(たけうちきよまろ)です。天津教の古文書が神代文字之巻を含む竹内文書と呼ばれるものです。
竹内巨麿はこの地を調査し、古文書と照らし合わせた結果、ここがイエス・キリストの墓だと発表しました。竹内文書はその後、真偽論争が大きくなった古文書です。
新郷村には以下のような不思議な習慣、地名の根拠が残っていたとされキリスト教との関係を指摘されてきました。これらはとても興味深いものです。
- ・生まれた赤ん坊の額に十字を書く。初めて外に出すとき額に十字を書く。
- ・旧家の家紋が六芒星に似ている。
- ・父親をアヤ(アダ)と呼び、母親をアバ(ガガ)と呼んでいた。
- ・伝統的な踊りナニャドラで唄われているのはヘブライ語に似ている。
- ・戸来(へらい)というのはヘブライから来ている。
ナニャドラがヘブライ語に似ていると指摘したのは、アメリカで昭和35年に亡くなった川守田英二牧師でした。書簡で戸来村に指摘事項を伝えています。牧師は昭和9年にウェストミンスター神学大学から名誉神学博士号を授与され、昭和11年にサンフランシスコ日本人教会の牧師、昭和15年にはサンフランシスコ神学大学から聖書学博士号を受けています。ヘブライ語研究の第一人者でもありました。
戸来(へらい)がヘブライに通じるのはもはや「そのまま」とも言えます。この戸来は鎌倉時代に戸来郷として既に存在していた地名です。
エルサレムとの友好
2004年にはイスラエル東部のエルサレム市と新郷村の友好の証として石碑が寄贈されています。そこには日本語、英語、そしてヘブライ語で寄贈について記されています。石碑を見るだけでも、単に伝説だと片付けられない面白さがあります。
なぜここにキリストの墓があるのか
現地の説明を要約すると以下の通りです。
「イエス・キリストは21歳の時に日本に来ており12年の間に神学を学び、33歳でユダヤに戻り伝道しましたが、十字架にかけられました。しかし実際は弟のイスキリが身代わりとなり、日本に逃れたイエスは戸来村に住むことを決意し106歳の長寿で亡くなった」
なぜ墓が二つあるかですが、一つはイエス・キリストでもう一つが弟のイスキリとなっています。
なお、近くに迷ヶ平(まよがたい)と呼ばれる場所があります。そこがエデンの園だという話も残っています。
最後に
いかがでしたか? 他にも二つの墓の左奥には「キリストの里伝承館」があり、様々な伝承コーナーがあります。お土産品の販売、衣装をまとった写真撮影、手打ちそばを楽しむことも出来ます。この機会に伝説の村に訪れてみませんか?
新郷村役場ホームページ http://www.vill.shingo.aomori.jp/07sight/sight-christ.html