この記事を書いた人 大里康正
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国宝がある八戸市「櫛引八幡宮」は河童がいる神社!
記事作成日: 2016-03-29
青森県八戸市は昔から「南部地方」と呼ばれて来ました。歴史は古く、南部家に残る文書によると源頼朝からこの辺りを拝領したのが、南部家初代の南部光行と言われています。今回は「櫛引八幡宮」の河童伝説とともに、国宝をご紹介します。
櫛引八幡宮とは
櫛引八幡宮は南部光行が甲斐の国、今の山梨県南巨摩郡南部町から、八幡大明神を滝ノ沢村に勧請しました(諸説有り)。その後、1222年、神託により四戸の櫛引村を社地と定め、それが現在地とされています。それ以来の長い歴史を有しているのです。南部地方ではここが一之宮とされています。
馬産地としての南部
南部地方は昔から馬産地として有名です。その関係で、櫛引八幡宮でも様々な場所で馬を見ることが出来ます。八戸市の伝統工芸品は八幡馬(八幡駒)と言われますが、始まったのは700年以上昔とされ、日本三大駒の一つです。
河童の話
河童と有名な左甚五郎が関係してきます。当地から依頼を受けた左甚五郎が、八幡宮造営を行います。しかしながら柱の寸法を間違えて切ってしまい、川に捨てようとします。するとこの柱が声を発し「やめてくれ」と訴えるのです。左甚五郎は「うるさい、ケツでも食らえ!」と言い放ち、川に捨てたのです。これが河童に変身、悪さをするようになりました。
困った村人が八幡様にお願いをすると鷹が現れ、河童を押さえつけたのです。逃げようとする河童を爪で押さえつける鷹。こうして頭部が禿げたと言われます。河童を押さえつける様子が、神社の本殿の脇障子に彫刻されているのは珍しいことです。
霊験あらたかな三頭木
更に境内に目の病に抜群の効果があるとされる三頭木ですので、お参りしましょう。古来より三頭木は神が宿る木とされ、大事にされてきました。三頭木は、街中ではなかなか見られなくなりましたので、これも貴重なものなのです。
彫刻
本殿にはいくつかの彫刻が施されていますが、桐に鳳凰文の透かし彫りや獅子を見ることが出来ます。じっくりと眺めてみて下さい。
二つの国宝
櫛引八幡宮には国宝館があり、ここに白糸威褄取鎧と赤糸威鎧「菊一文字」の二つの国宝が展示されています。白糸威褄取鎧は南北朝時代、南部家の分家、八戸根城南部氏の第七代当主・南部信光が後村上天皇から拝領したと伝えられている南北時代の兜です。赤糸威鎧「菊一文字」は同じく南北朝時代ですが、長慶天皇からの拝領とされます。
最後に
青森県八戸市の櫛引八幡宮は、近隣では一番大きな神社であり、1年を通して多くの参拝者で賑わいます。青森県南部のパワースポットである八戸市の櫛引八幡宮に、足を運んでみませんか?
南部一之宮 櫛引八幡宮
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